通信教育部(スクーリング)School of Correspondence Education (Schooling)
ECN200TF(経済学 / Economics 200)経済学特講(春期スクーリング)Special Study in Economic
三浦 道行Michiyuki MIURA
授業コードなどClass code etc
学部・研究科Faculty/Graduate school | 通信教育部(スクーリング)School of Correspondence Education (Schooling) |
添付ファイル名Attached documents | |
年度Year | 2022 |
授業コードClass code | 17002 |
旧授業コードPrevious Class code | |
旧科目名Previous Class title | |
担当教員(自由記述)Instructor name | |
科目種別Class Type | |
教室名称Classroom name | 各学部・研究科等の時間割等で確認 |
配当年次Grade | |
単位数Credit(s) | 2 |
備考(履修条件等)Notes | |
実務経験のある教員による授業科目Class taught by instructors with practical experience | |
カテゴリーCategory | 春期 |
期間Period | 春期 |
定員Capacity | |
予備登録の有無Presence or Absence of Preliminary Registration | |
受講可能な学科・学年Eligible Courses / Grade | 『法政通信』受講手続き等関連頁を参照 |
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Outline (in English)
What is modernization? There is a historical view that can only be called economic (substructure) determinism, and we try to understand modernization with capitalism and industrialization, but in the case of Japan, modernization First of all, it is necessary to understand that modernization is neither mere capitalism nor industrialization. Understand the importance of superstructure-related changes such as separation and independence of public and private, abolition of family character and hereditary succession, and constitutionalism and rule of law.
授業で使用する言語Default language used in class
日本語 / Japanese
授業の概要と目的(何を学ぶか)Outline and objectives
近代化とは何か・・・経済(下部構造)決定論としか言いようのない歴史観があって、資本主義化や工業化を持って近代を理解しようとするのであるが、日本の場合、近代化とは、単なる資本主義化でも工業化でもないことをまず理解する必要がある。公私の分離と独立、家格・世襲の廃止、立憲主義・法治主義といった上部構造に関わる変革の重要性を理解する。
到達目標Goal
幕藩体制解体の要因と維新が果たした役割を理解する。また明治憲法が「外見的立憲主義」でしかないのかをしっかり確かめる。
この授業を履修することで学部等のディプロマポリシーに示されたどの能力を習得することができるか(該当授業科目と学位授与方針に明示された学習成果との関連)Which item of the diploma policy will be obtained by taking this class?
ディプロマポリシーのうち、「経済学科:DP1」「商業学科:経済学」に関連
授業で使用する言語Default language used in class
日本語 / Japanese
授業の進め方と方法Method(s)(学期の途中で変更になる場合には、別途提示します。 /If the Method(s) is changed, we will announce the details of any changes. )
大教室での通常講義
個別の質問があった場合などは、個別対応以外に次回の講義で紹介する。
なお、「遠隔」になった場合は、毎回講義ファイルを掲載する。
アクティブラーニング(グループディスカッション、ディベート等)の実施Active learning in class (Group discussion, Debate.etc.)
なし / No
フィールドワーク(学外での実習等)の実施Fieldwork in class
なし / No
授業計画Schedule
※各回の授業形態は予定です。教員の指示に従ってください。
第1回[対面/face to face]:ペリー前後。幕末の財政・外交レベルなど・・・ペリーの土産の威力、来航後の幕府の急旋回(蕃書調所の設置、遣欧・遣米使節、留学生等)と、遣欧使節の稚拙さ(外交の稚拙さ)を理解する。
幕末の財政・外交レベルなど・・・ペリーの土産の威力、来航後の幕府の急旋回(蕃書調所の設置、遣欧・遣米使節、留学生等)と、遣欧使節の稚拙さ(外交の稚拙さ)を理解する。
第2回[対面/face to face]:所謂 明治維新
所謂 明治維新・・・開国でスキを見せた幕府に対し反対諸勢力が台頭し、明治維新へと繋がってゆく。公武合体も、徳川優位下での連立政府も、新たな幕府も吹き飛んで、結局、幕府は廃止され、ゆるい結合の幕藩体制は解体に向かい、中央集権的な統一国家形成が目指されたことを理解する。またその際、家格・世襲等が徹底的に否定され、実力(能力)主義が芽生えたこと、つまり、明治維新が下級武士革命であったことを理解する。
第3回[対面/face to face]:廃藩置県=幕藩体制の最終的解体。残務整理と新制度建設。
藩主は年貢の徴収権や兵馬の権等の特権を有していたのではあるが、廃藩置県でそれをいとも簡単に手放した背景には、諸藩の財政赤字と、新政府による旧年貢1割保証の約束があったことを理解する。また、その後の武士団の解体は、国債を使った退職金で行われたことも理解する。
第4回[対面/face to face]:岩倉使節団・・・彼我の落差とビスマルク。
発足間もない維新政府は、西郷らを残して米欧に、挨拶がてら、視察に出かける。岩倉使節団である。その中で、それまでは泰西と一括されていた西欧がより細かに認識され、プロシアへの親近感が強まったように思われる。講義では、晩餐会でのビスマルクの演説も読む。
第5回[対面/face to face]:地租改正・・・近代的土地所有と寄生地主制の成立。
新政府の税収も初めは農民からの上がりに頼る以外なかった訳だが、ここで歴史上の一大変革が起こった。まず、それまでは用役権(使う権利)しか認められていなかった耕作地に近代的私的所有権が認められた。さらに、それまで現物で収められていた年貢に変わって、耕作地の地価が定められその3%を現金で納めることになった。実際の耕作者は当然その土地を自分の所有にしたかったろうが、所定の地租を納めるだけの資力のないものには政府は私有を認めず、都会の商人などが耕作地の所有者となった。所謂寄生地主制の成立である。地租改正はこうした2つの側面を持っていたことを理解する。
第6回[対面/face to face]:徴兵制。
武士の特権の消滅。
徴兵制は武士団の最終的解体であり、その意味で、幕藩体制及びそれに付随する身分特権の最終的解体であったことを理解する。
第7回[対面/face to face]:経済制度の整備
通貨・銀行制度、株式会社制度等。
経済の改革は、制度面からまず行われた。銀行制度は初め米国を模倣して失敗し、また通貨制度も、銀本位制、金銀複本位制と変遷を重ね、なかなか上手くはゆかなかった。中央銀行として日銀が設立されたり、さらにそこから金兌換券が発行されるのは後になってからのことであることを理解する。また、西欧と違ってブルジョアジーが育たなかった日本でそれなりの会社設立等が見られたのは、渋沢栄一等により紹介された株式会社制度のおかげであることを理解する。
第8回[対面/face to face]:お雇い外国人
お雇い外国人・・・産業・軍事
今まで触れなかったが、日本近代化の要因として、御雇外国人を忘れるわけには行かない。彼らは徳川末期から存在するが、初期の元締め的存在としてはフルベッキが、憲法作成過程で重要な役割を果たした人物としてはロエスレルがいること等はしっかり理解しておきたい。
第9回[対面/face to face]:M14の政変
内閣制度(府中と宮中の別)と明治憲法(天皇という国家機関)。
明治14年、日本の将来に関わる政変が起きる。国会開設と憲法制定を巡って伊藤博文と大隈重信の間に亀裂が生じたのである。国会をすぐにでも開いて皆で議論して憲法を決めようという大隈に対して、時間をかけてじっくり練り上げて憲法を作りその後国会を開くというのが伊藤の考えであった。両者の理想とする国にも相違があった。大隈は伊藤・岩倉ラインによって切り捨てられる。憲法のできる前に内閣法ができる。天皇の私事(宮中)と一般の政治(府中)が厳格に分けられ、法案提出権が内閣に限定される。天皇とその側近が政治に私的に関与できないようにするためである。明治憲法では天皇に主権があるとされているが、それは天皇が恣意的に政治を行いうることを意味するのではない。天皇は、憲法に書かれた仕事を行う、国会や内閣等と並ぶ国の一つの機関なのである。
第10回[対面/face to face]:伊藤博文『憲法義解』を読む。
明治憲法をプリントするので皆で読んでみる。一部で言われるように「外見的立憲主義」に過ぎないものなのかを考えてみる。なお、これは、近代憲法としては事実上アジア初のものである。
第11回[対面/face to face]:初期の産業。綿絹2部門。
法制面に比し経済の進化はゆっくりしたものであった。何とか確立するのは綿紡績業と製糸業(半分は農業)位のものである。製鉄業は、鉄鉱石と石炭のマッチングがうまく行かず、かなり遅くまで「たたら吹き」が残っていた。造船業も鎖国が災いして大型船や鋼鉄船の建造はやはり遅くまでままならなかったのである。そうした点を理解する。
特に綿絹2部門。
法制面に比し経済の進化はゆっくりしたものであった。何とか確立するのは綿紡績業と製糸業(半分は農業)位のものである。製鉄業は、鉄鉱石と石炭のマッチングがうまく行かず、かなり遅くまで「たたら吹き」が残っていた。造船業も鎖国が災いして大型船や鋼鉄船の建造はやはり遅くまでままならなかったのである。そうした点を理解する。
第12回[対面/face to face]:日清・日露戦争と不平等条約の改正。
当時の朝鮮半島は李氏朝鮮という専制君主国であった。国政は最高権力者の恣意に委ねられており、最高権力者達は内輪で抗争を繰り広げ、日・清・露、どこを後ろ盾にすれば自分に有利かで動き、国政は混乱していた。その朝鮮をめぐりまず日清が衝突し、日本が勝利したが、露国を筆頭とする三国干渉にあい、朝鮮の中では露の影響力が強まった。そうした中で乙未事件も起きている。数年後李氏朝鮮は大韓帝国と改称する。さらに数年後、露が満州の一部も制圧するに及び日露は交渉するが露は折れず、ついに日露が衝突し、やはり日本が勝利した。領事裁判権の撤廃(M32)と関税自主権の回復(M44)の裏にはこうした事態も存在する。なお、日本経済が本格的に拡大してゆくのは、日清・日露戦争以降である。
第13回[対面/face to face]:併合前の日朝(李氏朝鮮)関係
日本と李氏朝鮮の関係を振り返る。
第14回[対面/face to face]:まとめ
1〜13回目の要点を振り返る
授業時間外の学習(準備学習・復習・宿題等)Work to be done outside of class (preparation, etc.)
本授業の準備学習・復習時間は、各2時間を標準とします。
テキスト(教科書)Textbooks
特定の教科書は使わない。
参考書References
そのつど指示する。
成績評価の方法と基準Grading criteria
期末の自筆レポートによる。
自分で調べ、考え、まとめた痕跡が確認できるものを評価する。
自筆レポート100%
学生の意見等からの気づきChanges following student comments
幕藩体制の解体と維新に関する基本事項の知識の欠如と明治憲法についての偏見が相変わらず目立つような気がします。
学生が準備すべき機器他Equipment student needs to prepare
「遠隔」になった場合は、PDFファイルが読めるアプリをご用意ください。
Acrobat Readerは無料で入手できるはずです。